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「安心は、身体から育っていく」シリーズの第5回です。
安心とは「気を抜くこと」ではありません
──「安心は、身体から育っていく」シリーズ 第5回
「安心してください」
そう言われると、どんな状態を思い浮かべるでしょうか。
緊張していないこと。
不安がないこと。
力が抜けていること。
何も心配することがないこと。
穏やかで、落ち着いていること。
そんな状態を「安心」と呼ぶことが多いかもしれません。
でも、私は安心をもう少し違うものとして考えています。
安心とは、
何も起こらないことではありません。
ずっと力が抜けていることでもありません。
不安にならないことでもありません。
生きていれば、身体が緊張することはあります。
怖くなることがあります。
疲れることがあります。
人に腹が立つこともある。
悲しくなることもある。
身体が大きく反応することもあります。
それは、安心できていないから失敗している、ということではありません。
安心している人は、いつも穏やかなわけではありません。
必要なときには、力を入れることができる。
危険を感じたら、身を守ることができる。
嫌なことには「嫌だ」と反応できる。
疲れたら休むことができる。
誰かに支えてもらうこともできる。
そして、必要がなくなれば、また少しずつ力を抜いていく。
私は、そんな柔軟さの中に安心があるのではないかと思っています。
これまでの記事で、
椅子に身体を預けること。
床に身体を支えてもらうこと。
力を無理に抜こうとしないこと。
人に寄りかかること。
そんな小さな身体の経験について書いてきました。
どれも、「頑張らなくていい」ということだけを伝えたいわけではありません。
むしろ、自分で支えることもできる。
そして、支えてもらうこともできる。
という、両方の力を身体が知っていくことが大切なのだと思っています。
安心とは、揺れないことでもありません。
人生には、自分ではどうすることもできない揺れがあります。
身体も揺れます。
心も揺れます。
そんなとき、すぐに落ち着けなくてもいい。
今は支えを感じられなくてもいい。
身体が強く緊張していてもいい。
少し時間が経って、身体が落ち着いてきたとき、
「ああ、ここに支えがあったんだ」
と、もう一度気づけることがあります。
その経験が、少しずつ積み重なっていく。
だから、安心は「気を抜くこと」ではないのだと思います。
何も感じなくなることでもありません。
いつも穏やかでいることでもありません。
揺れたときに、自分の身体に起きていることに気づけること。
支えが必要なときに、支えを受け取れること。
力を入れることも、力を抜くことも、そのときに応じて選べること。
そして、
今は何もできなくても、いつかまた支えに気づけるかもしれないと思えること。
そんな柔らかさの中に、安心は育っていくのかもしれません。
安心は、最初からそこにあるものではないのかもしれません。
椅子に身体を預けてみる。
床に足を預けてみる。
ほんの少し力を抜いてみる。
誰かに「お願い」と言ってみる。
そんな小さな経験を重ねながら、
「支えられても大丈夫だった」
「力を抜いても大丈夫だった」
「また自分で立てた」
ということを、身体が少しずつ覚えていく。
その積み重ねが、
「私は、揺れても大丈夫かもしれない」
という感覚につながっていくのだと思います。
安心とは、
揺れないことではない。
何も起こらないことでもない。
自分一人ですべてを支えられることでもない。
揺れることがあっても、支えに気づくことができる。
支えられることも、自分で立つこともできる。
そんな身体の柔軟さを、少しずつ育てていくこと。
私は、それが「安心を育てる」ということなのだと思っています。
そして、その安心は、
頭で「大丈夫」と言い聞かせることからではなく、
身体が「大丈夫だった」と経験することから、少しずつ育っていくのかもしれません。
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